島田紳助さんが引退した。理由は、暴力団関係者との交際が発覚したからだそうだ。
記者会見を見れば、十数年前に物事の処理をその暴力団関係者に頼んだことから交際が始まったようだ。何を頼んだかまでは、本人の口からも聞けなかったし、記者も追求をしなかった。だから詳しい事情はまったくわからないが、暴力団と付き合うことはルール違反だというはっきりした認識がありながら、自分自身ではまったく手におえない問題であったにしても頼むこと自体がモラル違反になるとは思わなかったのだろうか。
記者会見で本人も口にしていたが、何もかも捨てて、潔く芸能界を去ることが男の美学だと思っている節が見受けられもした。男の美学がどういうものなのか、自分自身あまりわかっていないが、たとえ絶体絶命のピンチに陥っても、他に依存しないこともそのひとつに入るのではないだろうか。もしそうだとしたら、暴力団に問題処理を依頼しておきながら、美学を口にするのは、格好いいつもりで言っているだけか、所詮タレントの薄っぺらな美学であって、本物の美学はそんなものではないと文句のひとつも言いたくなる。
彼は若いころ不良(ヤンキー)だったらしい。こっちだって、恥ずかしい話しであるが、紳助さんに負けずおとらず不良に励んでいた。その当時の仲間は、まちがいなく名古屋の頂点に君臨していた。だから怖いものなんてなにひとつなかったし、ボクの友達だと知らずにカバンをたかった朝鮮高校の不良が、ある日突然、謝りに来たこともあった。そのぐらい僕たちの仲間は名古屋では名前が鳴り響いていた。その当時の感覚で島田紳助さんをみれば、吹けば飛ぶようなたいしたことない不良である。そう考えれば、彼の美学が薄っぺらである理由が見えてくる。
おととし、不良をやっていたころの親友の親父が亡くなった。その親友からも他の誰からも連絡をもらえなかったので、そのことを知ったのは2ヶ月も過ぎてからだった。新聞や週刊誌に大きく報じられていたにもかかわらず2ヶ月間も知らなかったのである。
そのお父さんとは、何十年も会ったことはなかったが、知った以上は自分なりのお別れをしたいと思ったので、料理を折につめ、お父さんの仏前にと自宅のほうまで持っていった。
そのときの彼の言葉が今も忘れられない。「お前に連絡すれば、花輪を出すし、葬儀にもきっと来るだろう。もしそれが世間一般に知れ渡れば、この近辺では一流の料理屋だと思われているお前の店とおまえは、一瞬にして世の中から抹殺される。だからあえて教えるなとまわりに伝えたんだ。伝えなかったことを許してくれ・・・・・・」
ぼくは、すべてわかってるからもうそれ以上言わなくていいと彼の言葉を途中でさえぎった。彼の暖かい心情だけがうれしかった。
彼とはガキのころからの友達で、幼なじみの一人でもある。紳助さんのように物事の処理を頼むことによって知り合ったんではない。だから、世間に知れ渡っても、それがどうしたという気持ちがある。お互い大人になってからは、困ったときに頼ったことなど、ただの一度もない。最近になって、どうしても許せない奴を殺してもらおうかと夢想したことはあるが、自分の美学に反するのでやめた。彼の名前を出せばすぐ終わるのに、あえて言わずに暴力団との揉め事も一人で処理して来た。だから余計に隠す必然がないと思っている。だからこうしてブログにも書いている。自慢すべき友人の一人なのだ。
紳助さんのように、これも甘い考えなのだろうか。もしそうであれば、ボクもまた世の中に出る資格がない、ということになる。
最近のコメント