今度は教育というものをちょっと違った視点で考えてみたいと思います。
事業経営には、必ずリスクがつき物です。たぶんこうなるはずだ、という仮説にもとずき、なんらかのリスクを背負ってお金を投資をします。世の中のどんな商売でも、おそらくそうでしょう。そうしなければ商売を飛躍させることは絶対にできません。
それと同じように子供を教育し、成長させるためには、そこになんらかのリスクが必ず必要です。
ところが今、文部省が進めようとしている教育は、リスクを限りなくゼロにしようとしています。ゆとり教育とか言って、あれは絶対に間違っていると思います。
愛知県に戸塚ヨットスクールという不登校や家庭内暴力でどうにもならなくなった子供ばかりを預かって、矯正させるスクールがあります。
以前、短期間ですが、その近くで働いていたことがあり、良く知っているんですが、家庭内暴力や登校拒否児は、瞬時になおしてしまいます。親子が殺し合いうほどのすさまじい家庭内暴力をおこした子供を治してしまうことも少なくありません。不治の拒食症を治した例などザラなんですね。
しかし、20年程前、預かった子供を死なせてしまったため、暴力スクールということで、マスコミから徹底的に叩かれました。
でも何をやってるかと言えば、集団生活をさせたうえで海上に連れて行き、ひとり乗りヨットに生徒を乗せ、教えられたとおりに確実に操船できるまで訓練をするだけなんです。
海の上というのは、皆さんもよくご存知のように、ひとつ間違うとすぐ生死にかかわります。ですから、大学の体育会系のノリで、先生と生徒の間に厳格な上下関係を作り、強制的な命令をするだけなんです。
それだけで不思議に家庭内暴力がピタリと直ります。でも海の上ですから命の危険があります。下手をすると死ぬことだってあります。だから、これはハイリスク・ハイリターンの教育法なんです。(注・戸塚ヨットスクールを弁護するつもりはありません。)
ところが、文部省が考える教育というのは、ローリスク・ローリタン。リスクもないかわりに成長もない。
『子供の心を傷つけるから、詰め込み式の教育はいけない。それは必要悪であるから強制をともなう教育は必要最低限にとどめるべきだ。』とばかりに子供の精神を圧迫することさえしません。だから教育する上でリスクは限りなくゼロに近いと言えるのですが、それはとどのつまり、リスクをいかに排除するかという役人根性丸出しの理念が教育論の根幹をなしているのです。
たとえば、文部省流の教育を新入社員に置き換えて見れば、はっきりとわかると思います。
『新入社員の心を傷つけるから業務命令はいけない。それは必要悪なので強制的な命令は必要最低限にとどめるべきだ。』
絶対におかしいですよね。新入りほど先輩や上司からいろいろと仕事上の命令を受け、注意をされ、ビジネス社会の荒波に揉まれるなかで仕事を覚えてゆくのが普通だと思います。
だから、教育というのは、企業の投資と同じようにリスクが付き物なんです。そのリスクを覚悟した上で教育するのが、人間の教育なのです。
ところがお役人さんときたら、もともとリスクが大嫌いときています。
さてみなさん、困りましたね。^^;
(大昔書いたものに加筆修正)
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