日本人は中国を客観視することが苦手だ。
少数民族に対する圧政やアフリカにおける資源開発の実態を知れば知るほど、怒りを覚える。国内では、法律がコロコロと変わり、そのたびに振り回されている対中進出企業は多いし、日本の税制のようにグレーゾーンの広い法律運用ゆえに役人とのいさかいも絶えない。民間のビジネスの世界にしても、信じられないことがいとも簡単に起こる。ある日突然、家賃を2倍要求され、それが払えなければ出て行けとか、店を構えたとたんに立ち退きを告げられることぐらいは日常茶飯事だ。店を任せた店長は、お金をすぐにネコババするし、社員は小さな不満でいとも簡単に辞める。そんなことを何回も経験すると、ここはアマゾンの未開のジャングルで、お前らは原住民か!と思いたくなる。
こんな調子だから、日本人の嫌中感情はいっこうにおさまらない。おさまらないどころが、ますます嫌悪感を募らせる。そのおかげで、そのうち中国は崩壊するという「中国崩壊論」や、日本も早く核弾頭を持てという論調の「中国脅威論」はいつも大人気である。
でも、嫌中派の多くは中国人と心を割って付き合ったことがないのではないかと思う。
元来、漢民族というのは、利を取ることで生き抜いてきた民族である。よく言えば、「したたか」、より現実的にいえば、中国人ほどえげつない民族はいない。善悪や道徳は二の次、三の次である。とにかく「利益」がすべてであり、自分の成長と発展のためなら何でもありなのである。
ところがである。そんな中国人と家族同様の親戚関係と認知しあうことができたならば、そこには絶対的な信頼関係が生まれる。そこまで彼らの心の奥深くまで入り込むことがでたならば、彼らほど頼りになる存在はない。もはや日本ではほとんど存在しなくなった、本当の意味での損得抜きの間柄になれるのだ。
「料理は食ってみろ。人には会ってみろ。」というのは、ボクが勝手に作った言葉だが、中国人に対しては、「とことん付き合ってみろ。」と言いたい。もちろん、中国には日本以上に変なやつも多いから、その点は、付き合うに値するかどうか、人間を見分ける目が必要になるのは当然です。
お雛さんのときのお寿司です。錦糸玉子の下には、鯛の昆布締めが隙間なく敷き詰めてあります。才巻き海老、花びらゆりね、タラの芽、ワラビ。
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