昨日は夜中までかかって、というか、途中でやめれなくなって、最後まで一気に読んでしまいました。土曜と日曜には、昼に結構な数のご予約があるのを知りながら・・・・・
今までだと、ドラマを見れなかったときに本で読むとか、映像のほうを見たときは、時間がないこともあって、本は「まぁいいか」となることが多かった。だから、ドラマを見て、本も読むなんて、最近ではないことだった。しかも、ドラマの放映中に小説版を読むのは、人生初の体験かも。
普通、小説というのは、自分の中で想像力をおもいっきり働かせて、架空の人物をイメージし、場面の状況や景色などを想像しながら読んでいると思う。でも、ドラマを先に見ているので、その必要がまったくない。自然に俳優さんたちをイメージしながら読むことになる。それと同時に、去年お店でのイベント、「第一回、女性のための日本酒講座」をしたときに来てくださった関係で、大石静さんを存じ上げているので、大石静さんの顔を思い浮かべるときも多々あった。それはどういうときかというと、「こうきたか!」とこちらの予想を裏切る展開があったときはもちろんのこと、この台詞をここで言わしたか、とか、よく人間を観察しているなぁ~とか、やけに証券業界のことに詳しいから、森羅万象、この世のことには幅広く興味をもたれているのかなぁ~、とか、万里絵のキャラクターはどうやって思いついたのか、とか、ここはもうちょっと長い台詞にしてもよかったかなぁ~とか、じつに多くのことを大石静さんのお顔を思い浮かべながら、一人でぶつぶつと考えさせてもらった。これは他の作家さんではあまりないことである。
と、評論化きどりで少々生意気なことを言ったが、これだけの物語を創作することができる、その才能には、本当に恐れ入る。まさに並の人ではない。この才能があるからこそ、長く一流の世界でご活躍ができるのだと思う。
そして、最後まで読ませていただいてわかったことは、この物語は、単なる不純な愛の物語ではない。本当に心の満足というものを得たいと思うなら、振りかかる苦難と心の痛みから逃げてはいけないということ。逆にそういうものをくぐりぬけた向こう側に本当の心の満足があると大石静さんは言っている。
すべての国民が小人物に成り下がった感のある日本人に対する大石流のエールなのである。
それにしても、一度でいいから物語の中の“るい”さんに会ってみたい。(^^ゞ
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