中川区でブランド野菜を作ろうということで、区役所の農政課長である高橋さんが先頭に立ち、いま強力に推し進めている。その第一号が、「野崎白菜」と言って、日本で始めてできた結球型の白菜である。愛知の伝統野菜にも認定されている。
もう少し詳しく説明すると、前にも一度書いたが、「野崎白菜」というのは日本の白菜の第一号であり、明治の初期、名古屋市中川区の大当朗で生まれたらしい。明治8年の東京博覧会に出展されていた中国の「山東白菜」を愛知県が譲り受け、試験栽培してみたのだが、アブラナ科の野菜と交雑して、結球状にすることができずにいた。それを当時の大当朗町(地理的にはだいたい庄内川と一号線が交差する北側の地区)に住む、野崎徳四郎という人が、10年の歳月をかけて品種改良をすすめ、日本で始めて白菜の栽培に成功したのである。「名古屋白菜」、あるいは「愛知白菜」と呼ばれ、全国に普及した時期もあった。
農政課長の高橋さんによれば、野崎白菜を有志の農家さんが3000株ほど作る予定でいて、そのうちの30株ほどを試験的に使ってほしいとのことであった。そういう話が7月にあり、このほど、その「野崎白菜」を高橋さんが店のほうまで持ってきてくださった。
この白菜を見てすぐに思ったことは、「あっ、昔の白菜!」ということであった。 ボクがまだこの料理の世界に入ったばかりの30年ぐらい前は、たしか白菜は、みんなこんな形と質感を持っていたのだ。厳密に言えば、そのころ使っていた白菜が「野崎白菜」であったという確証はないが、現在主流になっている「黄芯系」ではなくて、「野崎白菜」から派生した品種であることは間違いないように思う。水分が多くて、今よりもずっと白菜の漬物が作りやすかったし、豆腐と同じようにどんな味とも良くなじむので、煮物に良く使っていたように思う。カント(関東)煮と言えば、油揚げと白菜を一緒に焚くことだったし、白菜の肉巻きなんかも作った記憶がある。。
今年は一部地域のスーパーの店頭にコーナーが作られて、並ぶそうなので、見つけたら一度手にとってごらんいただきたいと思う。絶対に懐かしさがこみ上げてくるから。
どんな料理にするかは、ただいま考え中です。
そういえば、今ではおそらくほとんどの人が知っている、厚めに切ったふぐの身と白菜を一緒に食べる料理、「河豚のぶつ切り」は、東京赤坂にある「京味」のご主人である西健一郎さんが始めた仕事だったと思う。大きな河豚(3キロぐらい)の強い旨みと黄芯系の白菜の甘みとの相乗効果を狙ったものであった。
西さんの<京味>は40年前の開店当初から
新橋だったと思います。
野崎白菜は伊勢湾台風の頃までは荒子学区で
普通に栽培されていたと思います。
通称・荒子葱という長葱もありかなりマィナ-ですが、
柔かくて名古屋の繁華街の料理屋にも納めていた人も
いたそうです。
80歳以上の農家の人に聞けば今でも知る人は
いるかと思います。
投稿情報: ryousyou17 | 2010/11/19 19:48
ryousyou17さん、こんにちは。
このたびは、ご教授を賜り、誠にありがとうございました。
おっしゃるように赤坂ではなく、新橋の間違いですね。うっかりミスでした。
荒子葱なんていうのがあったんですね。今は上高畑に店を構えていますが、生まれは荒子(荒子城の付近)ですので、親戚のおばさんに聞いてみます。
投稿情報: 京加茂おやじ | 2010/11/20 01:55