こんにちは。京加茂おやじです。
最近、何かと話題になっている尖閣諸島といえば、明治時代には鰹節の製造工場があったところだ。古賀辰四郎という人が日本政府から30年リースで借り受け、琉球(沖縄)の島民を集めて運営していた。その後古賀家の子孫が尖閣諸島を日本国から買いとり、私有地になっていた時代もあった。
もともと日本の領土であったかというと、そうでもない。台湾を併合し、日清戦争に勝利したあとに日本の領土となったのである。それで当時の政府は、尖閣諸島を沖縄県に編入したが、その後、太平洋戦争で日本が負けるとアメリカの統治による琉球政府ができ、尖閣諸島もアメリカの管理下となった。そして、沖縄返還とともに尖閣諸島も戻ってきたのである。大雑把だがこのような歴史がある。
台湾や中国が、わが国の領土であると主張し始めたのは、1960年代だったと思うが、いや1970年だったかもしれないが、海洋調査によって石油が埋蔵しているとわかってからである。しかもその埋蔵量はイラクやイランに匹敵する1000億バーレルだとういうから驚く。
しかし、日中平和友好条約のときに、鄧小平はこの尖閣諸島の領土問題については、棚上げしようと言った。これが特に重要。沖縄の場合は、アメリカと1952年に平和条約を結んだときには、沖縄は日本の領土であることを潜在的に認めさせたうえで、アメリカ軍の管理下におくことを認めたのである。
「棚上げ」とは、実際にはどういうことかというと、「わからない」ということである。さらに「わからない」というのは、領土であるかもしれないが、領土でないかもしれない、ということである。
そうなれば、実効支配している国が領土を主張できるのは、現在では国際間の常識である。イギリスのフォークランドを見よ。アイルランドもしかりである。
なので、竹島は韓国が実行支配してしまったので、日本領土と主張することは、国際常識では非常に難しくなっている。
今でも古賀家の私有地としたら、誰か、古賀家から買い受けて、鰹節屋でもやらないかなぁ~。うまい鰹節ができそうだ。
昼のお膳料理で、名物「梅風味の茶碗蒸し」が始まりました。
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