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2010/09/28

コメント

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パル

こんにちは。

道州制ですか。
わたしは「中期的にみれば」ひとつの有効な措置かと思います。

ただ、万能の政治体制というものは未だかつてなく、そしてこれからも生まれないと思いますし、道州制もまた例外ではない気がします。ですから道州制も結構ですが、これは終着点としてではなくひとつの手段、過程として捉えるべきと考えます。

すごく単純化して中央集権か地方分権かその中間か、どっちがいいのだと考えても一概には決められないと思うんですね。
どれを選択しても長期間続ければ制度疲労を起こして修繕が必要になってくるでしょう。
いくらひも付き予算をなくしたって、時間が経てば中央の巨大な利権が地方に中くらいの利権になって分散されるだけで、無駄や汚職などがトータルで減るのかといえばどっちもどっちではないでしょうか。

たとえば今世界で一番勢いのある中国。
一党独裁で民主主義国家ですらないのに、「今のところ」トータルではそれがうまく機能していそうに見えます。とりあえず、金を稼ぐことについては最も成功しています。でもそれがいつまで続くのか、いわゆるチャイナリスクのどれかがどのようなかたちで押さえきれなくなるのか、誰もわかりません。

制度というのは身近なものにたとえれば道具のようなものと思います。
料理のことは分かりませんが、恐らくは同じ包丁やまな板を使っても技量によって仕上がりに大きな差が出てくるように、仕組みや制度のあり方は勿論大切と思いますがそれを如何に運用していくのかということも同じくらい重要だと感じます。(私は漠然とむしろ後者こそが大切と思っております)

わたしは道州制を肯定も否定もしません。
ただ、これを唱える多くの政治家、学者らにはむしろ「道州制後」も含めた長期的な展望を語っていただきたいと願っております。

そういった見方をしておりますゆえ、単に近視眼的、対症療法的な道州制導入論であれば、どちらかといえばわたしはNOです。国家の設計というものは枝葉も大事ですが、全体のバランスと時間の洗礼に耐えうるものが必要だと思います。

難しいですね。

京加茂おやじ

パルさん、こんにちは。

このたびは、ご丁寧にいろいろご教示いただきまして、誠にありがとうございます。

おっしゃいますように万能の政治体制や永遠の政治制度というものはありえないと思います。戦後になって作り上げてきた現在の国家の形や政治形態がまさにそれで、このまま続けるにはもう限界が来ているような気がします。

そこでどう変えるかということですが、江戸時代の幕藩体制ではひとつの単位が小さすぎて世界との経済競争に打ち勝っていくのがたいへんでしょうから、沖縄を除いては、人口500万から1000万ぐらいに区分するのがよいのではと思います。

もちろん選挙対策などの近視眼的なものであってはなりません。パルさんがおっしゃる中期というのがどの程度の期間を指しているのか正確には把握できておりませんが、少なくとも20年後の日本をどんな国にするのかというビジョンに基づくものでないといけないことは言うまでもありません。

最近の政治家たちは、本当に勉強不足で、国民や他国におもねることしか知らないように見えます。たとえば、尖閣列島の歴史を知っている者が、いったい何人いるのでしょうか。中国漁船の船長に対する対応で、政府、与党の政治家たちが、年表程度の歴史を知っているだけでも、あんな頓珍漢の対応には絶対にならないはずです。

弁護士になるには国家試験があるように、医者になるには同じように国家試験があるように、政治家にも国家試験が必要なんじゃないでしょうか。そんなようにすら思えてくる今日このごろであります。

コメントをどうもありがとうございました。

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