お店の発展は人材の優秀さに比例する。考えてみればあたり前のことである。どのようにすぐれた会社でも、それを構成する人材に欠けるものがもしあれば発展は望めない。おそらく日本の国とて同じことだ。
反対に人材がすぐれていれば、多少お店や会社に何がしかの小さな欠点があったとしても、そのお店や会社はおおむね発展する可能性が大きい。優れた人材からは、優れた料理が生み出され、優れた人材からは優れたサービスが提供されるということである。
松下幸之助さんは、お客からうちはどんな会社なのかと聞かれたら、『わが社は人材を作っています。そして、あわせて電気製品も作っています』と言いなさい、と指示していたという。経営を熟知した者のけだし名言といえる。
いまの日本経済は、20年もの間、ずっと停滞している。しかも、識者の多くが日本のさらなる衰退を懸念している。倒産、リストラ、不良債権、中国の台頭、莫大な財政赤字、少子化、教育の崩壊など数え上げればきりがない。このような将来に対する不安は、人々の消費意欲を極小なものにし、経済を停滞させる原因になっている。だから、この先も国民は、厳しい経済環境の中で閉塞感を持ちながら生きるしかない。
そのような状況の中で、店が活路を見出そうとすれば、やはり有能な人材しかありえない。もちろん経営者を含めてである。
おそらく、これからは、金持ちと貧乏人。言い換えれば、幸せを享受する者とウダツのあがらない者に大きく分かれていく。中国などの後進国の台頭で、労働集約的なことで生きていけなくなった以上、知的付加価値を生み出せない人、知的能力がない人には存在価値がないからだ。そんな冷たくて厳しい知的実力の社会になってゆく。そうなれば、グローバル化した世界では、日本人のほとんどが貧乏になってしまうかもしれない。いまの時点ではそうなる可能性が高い。
邱永漢さんと中国をまわったのは2001年。そのとき、一緒に行った友人が、「日本の景気はよくなりますか」と尋ねたら、「永久にない」と、たったひとことで終わった。大前研一さんは、今後400年間は日本は下がりっぱなしになるかもしれない、と言っている。なぜこんな事態になってしまったのか。やはり、生きるための戦闘力をまったく持ち合わせていないのだ。これしか考えられない。
明治の初期、お金もない、武器もない、援助してくれる国もない、発展のためのモデルもない。そんなないない尽くしの中から危機感を持って立ち上がった当時の日本人と比べて、あきらかに人間が劣化しているのだ。
大きなマナガツオ。
マナガツオの旬は冬ですが、今の時期、魚屋の盤台に時々並ぶ。今日はそれを買ってきました。
塩を当て、皮目に包丁を入れて、焼き物用に・・・・
甘鯛。「若狭ぐじ」というラベルがついていました。
魚屋の盤台に2本だけあり、なぜ2本かと聞いたら、売れないので他の魚屋と分け合ったらしい。
これも焼き物用。
じゅんさい。広島産だったと思う。ちょっと失念。
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