今日は京料理について。
ボク自身は京料理だと意識して料理を作ることはほとんどない。店にいらっしゃるお客さんたちの「美味しい」という声を参考にして、いつも料理を作っている。料理はお客さんが食べるものだから、それは当然だと思っている。ただ、自分の修行の経緯からいって京料理を習ってきたという実感と確信があったから、20年前に店を始めるときに京料理という看板をあげた。
でも、厳密に言えば、京都で営業しているわけでもないし、京都の食材だけを使っているわけでもない。水も違えば、気候も違う。20年間営業を続ける中で、ボクが作る料理も大きく変わった。だから、最近では、京都のマネをしているわけではないということもあって、日本料理ということにしている。名古屋の人の嗜好に合わせているうちに京料理ではないもの。たとえば天ぷらなんかもやっているから、そういうこともあわせて考えれば、やはり日本料理のほうがしっくりくると思っている。
では、京料理とは何か。
これを定義できる者は絶対にいない。なぜなら、京料理1200年の歴史の中で、京料理ほど革新を重ねてきた料理はない。時代によって料理も違えば、味付けもまったく違う。料理に対する考え方の移り変わりもある。
あまり古い時代のことは知らないが、戦前は、南禅寺の瓢亭さんの料理が京料理の基準になっていた。
そして戦後、千花の永田さんやたん熊の栗栖(くりす)さんが台頭してきて、新しい京料理が始まった。永田のオヤジさんは、創意工夫を大いに発揮し、フルーツと合わせた京料理を考案し、京料理を今日のように、とことん薄味にした。たん熊からも、次々と新しい料理が生まれ出た。今では誰でも知っている「モロキュウ」もそうだし、「しゃぶしゃぶ」なんかもたん熊考案の料理だ。その一方で、菊の井の先代や中村楼の先代、つる屋の先代などが重鎮として、伝統を受け継いだ料理を作っていた。辻留めの先代が「茶懐石」というものを世間に知らしめ、その影響も京料理の一角をかたどっていることを忘れてはいけない。
京料理の革新といっても、戦後の40年間ぐらいを考察しただけでも、このように多くの料理人が非常に複雑に絡み合って進化してきているのだ。だから、京料理とは何か、をなかなか簡単には決め付けることはできないのだ。千花の料理と辻留めの料理は、まったく違う。しかし、両方とも京料理であることは間違いない。
昔、瓢亭の高橋さんが、雑誌のインタビューだったと思うが、「京料理とは何ですか」と聞かれ、「私の作る料理が京料理です。」とお答えになっていた。おそらく、京都の料理人たちは、皆が皆、まったく同じことを思いながら、それぞれに工夫を重ねた料理をめいめいに作っている。それが京料理の現実なのだ。
あらためて、京料理とは何か、と問えば、おそらくその答えは、「京都の地で作った料理」ということになる。
では、名古屋で京料理をうたってはいけないのか。もちろんそんなことはないと思う。京料理の精神さえ失わなければ。。。
京都では、若手が出てきて、今また京料理が大きく変わろうとしている。昔の京料理を知っている者は下品だと言うに違いない。でも、伝統と革新という、まったく矛盾することを同時に成り立たせているからこそ、京料理の精神を受けつぐ京料理であると言えるのだ。
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