人生はすべからく絶対の確信を持ってから力強く歩むべし、と言う人がいます。
それはたしかにそうかもしれません。でも、人間である以上、神様ではないのだから、先の先まで見通して、すみからすみまで完璧に見極めて、まったく誤りのない100パーセント正しい判断に基づいた「確信」をもって人生を歩むことなど、ほとんど不可能なのではないでしょうか。
だからこそ過ちを少しでも少なくするために、あれこれ思い悩んで精一杯に考えます。その果てに、どうにもこれ以外ほかに道がなさそうで、だからこの道が一番よさそうで、いったんはそうのように考えてみても、やはりそれでもまだまだ心もとないのですが、心もとないままではしかたがないから、気持ちを奪いたたせて前へ歩みます。自らを、励まし、励まし、歩みます。
それでも人間はしょっちゅう間違いを犯します。事業の業態を間違えなくても、店内の内装で間違える。店内の内装を間違えなくても、お客の選び方で間違える。お客の選び方を間違えなくても、人の使い方を間違える。人の使い方を間違えなくても、値段設定で間違える。値段設定で間違えなくても、肝心かなめの戦略を間違える。
だから、失敗や誤りを少しでも減らすために、すべての人から何かを学びたい。技術をもった人からは、その技術を。知識をもった人からはその知識を。洞察力を持った人からは、洞察力の根源にある「ものの見方」を学びたい。
もし、真実に基づいて、本気になって叱ってくれる人がいたなら、こんなにありがたいことはありません。もし、自分を鍛えてくれる人にめぐり合えたなら、運命の神さまに心から感謝せずにはおられません。
けなし、叱り、怒ってくれる人たちの中で生きて生きたいと思う。
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