7日の夜、年老いた母を連れ、「京都吉兆、名古屋店」にうかがった。
急に思い立ち、予約もせずに行ったのだが、お客さんは我々以外にもう一組(たぶん?)いただけで、店の中は恐ろしいほど閑散としていた。船場吉兆の偽装事件以後、確かにお客さんの数は減っていたが、あまりにも閑散とした風景に度肝を抜かれた。こんな吉兆を見るのは、初めてであった。
吉兆の回し者ではないけれど、料理が悪いわけではないと思う。なかでも1万7千円のコース料理に限って言えば、吉兆のように店独自の洗練された美意識をもち、値段に見合う品質をつねに高いレベルで安定的に出している店は、恥ずかしい話だが、名古屋にはほとんどないと言っていい。こういうことは、一般の人にはわからないことかもしれないが、ボクの目にはそう映る。
一般的に言って、実力のある店に閑古鳥がなくということは、例の事件によるブランドの失墜を除けば、世の中が、ボクの想像をはるかに超えるほど不景気であるか、名古屋人が皆、味オンチであるか、料理や店の形態が人々の嗜好にマッチしていないか、独創的な料理が飽きられてしまったか、の四つしか原因はない。
このまま突っ張ってゆくのか、あるいは何か手立てを打つのか。お昼のホール席限定、5千円の弁当は好調のようであるが、コース料理のほうも、早急になんらかの手立てを打ったほうがよいのでは?と思う。
京都吉兆の三代目、徳岡さんは、ボクと同じ歳であるから(面識はない)、現在の彼の心労は並大抵ではないだろう。
京加茂も、これからの時代をどう生き抜いてゆくのか、よく考えなければいけない。
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