歌手の矢沢永吉さん(60)の半生を追ったドキュメンタリー映画「E.YAZAWA ROCK」(増田久雄監督)が11月21日より、東宝系でロードショーされる。 これは絶対に見に行かねばと思っている。ボク自身、芸能界や音楽にまったく興味がないのに唯一気になる存在で、とにかく生き様がすごい。 矢沢さんという人間を一言で表そうとするなら、「異常なる存在」という言葉がもっともふさわしいと思う。この場合の、「異常」という言葉はやや異なる二つのニュアンスを含んでいる。一つは、「尋常ならざる」、「常識を超えた」といった意味合いで、簡単に言えば「すごい」という畏敬の念のこもったニュアンスである。もう一つは、「どうもおかしい」「正常ではない」という、能力や人間性に対する疑問符としての異常さである。 まず前者について、矢沢さんは、その発想や行動のあらゆる面で、当時の常識を超えた「すごさ」を発揮している。その異常さが最も端的に現れたのは、日本全国の興行主とのケンカであろう。どんな歌手であろうと、毎回出すたびにレコードがミリオンセラーになるわけではないので、印税だけでは生きていけない。だから、この人たちを敵に回せば、商売上がったりになるのが普通である。しかし、矢沢さんは、すべて自前で興行するという超離れ業をやってのけた。こんな歌手は、全世界の歌手の中で、矢沢さんしかいない。これによって飯のタネになる最も大きなものを完全掌握したのである。だから、矢沢さんの生き方やその言動には、媚のかけらもない。自分の手で飯が食えるからである。 後者については、今は書かない。 矢沢さんを見ていていつも思うのは、南北朝の時代に流行った「バサラ」の精神である。「バサラ」とは、自分の夢や野望の実現に自らの持てる能力をすべてを投じようとするもので、いわば「物狂い」の精神でもある。それは、よく言えば、伝統、因習、慣習、常識などによる、すべての拘束を排して、思いのままに行動しようとする自由闊達な精神のことである。悪く言えば、迷惑者、変人、わがままということになる。 しかし、これこそが、男の生き様の本懐なのではないかと思っている。この時代にあって、それを見事に体現しているのが、矢沢永吉さんという男なのである。すばらしいとしか言いようがない。
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