200人以上の人を雇ってきた、と昨日書いた。そのおかげで、人物を見て、ひとことふたこと話せば、その人がどのぐらい仕事ができるか一瞬でわかるようになった。調理場の人間に限っては、その子の未来まで透けて見えることもある。透けて見えると言っても、だいたいこんな人生を送るな、という程度であるが、これも人に苦労しながら、歳を重ねてきたおかげであろうか。
うちの場合、経験者はほとんど取らない。きちんとしたところで、料理を習ってきた、あるいはサービスを身につけてきたのであればいいのだが、他の店を辞めてうちに来るような人というのは、中途半端にしか仕事が身についていない人が非常に多い。料理を作らせても中途半端なことしかできないし、サービスをやらせても雇われ根性が丸出しなのである。
そうした人には再教育が必要なのだが、一度そうしたものを身につけてしまうと、ほとんどの人がクセにまでなってしまっているので、そのクセを改めることが至難の技なのである。よほど本人に強い意志がない限り、いくら言っても叱っても、まったく改めることができないのである。もうこうなってはうちでは使えない。そうした人を取って苦労するより、どうせ苦労はつき物なのだから、最初はまったく役に立たなくても新人を取って、一から教育したほうが、5倍も10倍も戦力になるのである。
ボクは、商売を始めるまでに16軒もの店で働いたが、自分から店を辞めたことは一度もない。自分なりに一生懸命働いていると、不思議なことにどの店でもそうであったが、その店の親方が、あそこへいって仕事を覚えて来いと言って、次の店に行かされるのである。自分ではそんな気がないから、気持ちとしては、行かされるという感覚である。そうして店から店を渡り歩いているうちに、初めは本当に場末の居酒屋からスタートしたのだが、気がついてみると名古屋トップクラスの料理屋にいたのだ。だからとうとう自分で店を辞める経験をすることなく、27歳のときに料理長になってしまった。
だからと言うわけではないが、自分で店を辞める人は、何かが足りないとしか思えないのである。その何かは人それぞれだが、共通項を上げるなら、それは「志」ではないかと思う。大きな「志」があり、それが信念にまで高まっていれば、その気持ちは自ずと上の者に伝わると保障する。
人生の中で、これほど重要な「志」をどうして学校で教えないのか、とても不思議に思っている。学校の役目でないのであれば、親が教えるべきであろう。
世の中のあらゆる「知識」や「技術」や「知恵」は、志を実現するための道具に過ぎないのだから。
秋田の甘鯛。
自然栽培のとうもろこし。
水洗い中の鱧。
今日は嬉しいことがあった。お客さんから、先日、錦のほうで同じような値段で日本料理を食べてきたが、どうしてこうも味か違うのか、と言われた。中でも出汁の味かまったく違うと言っていた。
褒められたり、けなされたりと毎日忙しいが、けなしたい人は、その場で言ってくだされば、ただちに修正させていただくのに、けなす人に限って、あとから言う人が非常に多い。なんで?
最近のコメント