一般的に言って、料理の修業は「追いまわし」から始まって、「焼き場」、「油場」、「わき板」、「わき鍋」などを経て、「向板」となり、最終ゴールが「煮方」となる。昔は、各セクションを1~2年づつ経験して、8年から10年で一人前になった。ただし、一人前になったと言っても、それはあくまでもひと通り経験したというだけで、研鑽と探求は、その後も続けなければならない。
料理の世界は、身につける技術や、覚えなければならないことが山ほどあるので、周りから一人前と認められるだけでも10年を要する。もし、10年間修行して、一人前になれないのなら、修行先の店のおやじに人を育てる気がないか、料理人として致命的な欠陥を持っているかのどちらかだろう。辛抱できずに辞める人間は、もちろん論外である。
世界の天才シェフたちは、恐ろしく修行期間が短い。豊かな才能に恵まれ、そのうえ人一倍の努力をするから短いのは当たり前である。だが、凡人であっても、努力を怠らない人であれば、修行期間を短くする方法がひとつだけある。それは、すべての料理に通じる「料理の基本」を先に身に着けてしまうことである。ただ、基本といっても、かなり多岐にわたるから3年ぐらいは必要だが、ひとたび基本を身に着けてしまえば、自分の中に“基本という本だな”が出来上がる。そうなればしめたもので、あとはそれぞれの料理をその本だなに入れてゆくだけですむ。修行する上で、それがもっとも効率がいいと思う。
なかなか一人前になれない人は、その基本をないがしろにしている場合が多い。基本ができていないくせに料理だけは覚えたがる。それではへんに中途半端な料理が身につくだけで、料理長からも認めてもらえない。基本の重要性は、料理の世界だけではない、スポーツの世界でも、科学者の世界でも、それは同じだと思う。
基本とは何か。
それは、料理を作るときのベースになる知識と基本動作のことである。
料理屋などの階層の上の店へ行けば行くほど、その重要性は増し、確実に実行されている。その反対に、居酒屋などの階層が下の店では、基本が守られていないことが多く、とてもいい加減である。いぜんに、どうせ料理の修業をするのなら、階層の頂点である料理屋でしたほうがいいと言ったのはそのためである。
4キロ弱の天然ひらめ。
スリランカ育ちのニシャンティーさんが作ってきてくれた本場のカレー。お昼に皆で、おいしくいただきました。
ボクは辛いものがまったくだめなんです。22歳ぐらいで煮方になり、それ以来、舌を保護するためにまったく辛いものを食べてこなかったので、今でも辛いものがまったく食べれません。なので、ボクにも食べれるようにと、カレーの辛さはかなり手加減されています。ハウスバーモントカレーぐらいの辛さでした。その優しい心遣いに感激!
「刀豆しば」と「豆しば」君。現在愛用のシャープペンです。
大根のみぞれ煮。ハマグリのスープで。
今日、お客さんがこれを見た瞬間、「大根じゃ、おでんみたいだから感動しない!」と言った。ボクは内心、「この人は百姓だな。」と思った。かんたろうは、「こんなところでやっているからいけない。」と言った。
ボクは、銀座の会員制、超高級料理屋「壬生」に匹敵する料理だと思ってるのに、中川区では、どうやら理解してもらえないらしい。
それとも、単なる「独りよがり」か!!
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